あなたは犬派?それとも猫派?

【かつては犬派】

かつて私は、断然、犬派でした。基本的には動物は大好きでしたが、猫を飼う、という思い付きがあまりなく、気がつくと隣には雑種のワンコが座っていました。 そんな犬派の私が可愛いと思える猫とであったのは19歳のとき。 

我が家の猫は里親募集からもらってきたのがレオと毘沙門、そのほかは千代長男のピカソ(ペルシャ)も天竜(ペルシャ)も茶々姫(スコティッシュ・フォールド)もブリーダさんからではなくペットショップから我が家に来た子です。
今までは実家が犬派で、近所で生まれた子をもらったり子犬を拾ったりしていたのですが、しっぽをふりふりじゃれる丸い子犬たちにくらべ、猫は子猫を拾っても私の中であまりいいイメージがありませんでした。動物はとりあえずなんでも大好きなことは大好きだったのですが猫においては犬に比べて理解が浅く、アウアウと声を出しながらご飯を食べる子猫が急に怖くなったり、夜間に拾った子猫を車に乗せて連れて帰ろうとすると、元いた場所に向かって口を大きく開けて鳴き続けるのが薄暗い車内で無性に気味悪くなったりしてしまったのでした。
猫に対してほぼ、無知。声を出してご飯を食べていた子猫は死ぬほどお腹がすいていたのだろうし、夜間に見知らぬ人に車に乗せられて急に走り出した事は猫には非常にストレスになったのだろうと、今ならわかるのですけれど当時は理解不能で、(猫ってちょっと怖い)という感情が先にたつばかりでした。

【子猫がやってきた】

はじめて猫を飼ったのは、私が19歳の時。友人の知人のところで生まれたペルシャのMIXをもらってくれないか、というもので、話に聞くと、真っ白でほどよくふわふわで、青とオレンジのオッドアイ。父たちには事後承諾で、猫嫌いの人が家にいるということもすっかり忘れて勝手にもらってきたのも今思えば若さゆえの強硬手段ではありましたが、確かに、手のひらサイズの子猫は真っ白でたんぽぽの種みたいにふわふわで、変わった色の丸い大きな目をしていました。猫が嫌いな母までもが、この子なら即OK!ということで、飼いかけたのはいいのですが、結果的にこの見切り発車的な強引な飼い方は思い切り、手順を間違っていました。

「ゲージに入れて飼ってね。毛が飛び散るから放し飼いは嫌。」

そういう人間の生活が第一の母だったということに気がついた時はすでに後のまつり。ここで本来なら泣く泣く違う飼い主を探し始めるのが最善の結果だったのでしょうが、ケージに閉じ込めてでも飼いたい。と思うのが若さと無知ゆえ。そして子どもがこんな有様なので当然親たちは、ケージの中に閉じ込めて飼うことに罪悪感など微塵も感じないタイプ。夜は部屋に入れてもらっても遊び盛りの弟がかわいさあまっておもちゃのようにいやがる猫を抱きしめ、あっという間に子猫は性格破綻気味で神経質で攻撃的な子に。発情のときだけがみょうになつくのでそのときが一番かわいらしくて扱いやすいなどと思う始末でした。この子は三度ほど発情していたにもかかわらず、子供を産ませない雌猫なら避妊手術をする、という今の私には当たり前な考えもそのころは露ほども!浮かびませんでした。

【猫が行方不明】

そして徐々にそのゲージの場所も迫害されていき、気がつくと裏の小屋へ ゲージを置こうと母が言い出しました。裏は通り道からうっすらと中が見えるよくあるトタン壁でいつも鍵がかかっておらず、「誰かに取られるかもしれないよ!」、と散々反対したものの、へたに逆らうと逆切れする親に独立していない私は強くは逆らえませんでした。
しぶしぶ承諾した数日後、起こってほしくないことが起こってしまいました。
あっという間に――猫を夜のうちに、誰かに盗られてしまったのです。。盗った人たちがだいたい検討がついたものの確たる証拠もなく、つきとめられず、結局一年も飼っていないうちに、初めての猫とは二度と出会えなくなってしまっていました。昔のことで、ネットなんてものはない、口で聞き込むか、張り紙しか方法がなかったのですが・・・その子は泣く泣く、あきらめました。
かわいいと思って連れて行ったのだろうと思うので、どうか、その先でかまわないから一生大事にしてもらえていればなあと、そればかりを思うのですが、そういう行為を平然とする人に生き物を心から大切にしてもらえるのかどうか、疑問が残り、とにかく自己防御が働き、考えないようにしてしまいました。 (余談:私の好きな漫画家が描いた話の中に、スタイリッシュな若者が近所のコリー犬の子どもを数匹中から2匹盗んでくるという笑えない話がある。お金がないから盗んできて、とっても大切に飼う、そして泥棒することがスタイリッシュで若者らしくて素敵なことのように描いてある・・・--;よく似ているパターンだと思う、私にはここはちっとも共感できない・・・)


【ピカソとの出会い】

ことの発端は自分の甘さだと気づき、今度動物を迎え入れるときは必ず自分が独立してから。これを頭に叩き込み、かくして結婚し独立を遂げた私は動物が嫌いでない相手ときちんと相談し・・・っと書きたいところですがここは嘘、ちょっとばかり強引に次の猫とのご縁をうっかり見つけてしまいました。このころの私は外観だけで猫を判断し、愛らしさを見つけていたような気がします。

目の釣りあがっていない、丸い目で、ニャーンと鳴かず、声の小さな、アンって鳴く猫はもういないのじゃないか。ペットショップでそういう子達を捜し求めていたときに、偶然であった3年目。
ピカソ(白いペルシャ猫)がまさに、前猫にそっくりの容貌をしていました。この子は血統書を持っていて毛は神々しいばかりに長いし、目はオッドアイでもない。でもその小さな声と、愛らしい目の丸さはまったく前猫と良く似ていました。
そうして、猫というものをよくわからないままに手に入れた二匹目は、なるべくしてペルシャ系、となっていました。しかし、ピカソは当初思い描いていた前猫との容貌とは確実に違いが出始め、性格はきつくなるし、目はどんどん年をとるごとにつりあがってくるし、男の子だったのでなにやらお口元が年々むっちり(笑)何よりも猫は七色の声を持っているということを知らしめてくれました。


【やっぱり猫が好き】

そして気がつくと、いつのまにやら一番縁遠そうな黒猫なんかが2匹も我が家にいたりして、本来の猫らしい猫が大好きになっています。付き合えば付き合うほどに奥が深い猫の虜となっていました。そのころは、猫の外観は美しいものが一番、という観念は木っ端微塵に打ち砕かれていました。

ピカソが死んでしまった後。『もう純血や長毛はやめようね、かわいいけど身体が弱いかも。強い雑種ちゃんをどこからかもらってこよう』と旦那といいあったものの、1年飼わないでおこうという誓いも空しく、猫探しの旅が知らない間に始まっていました。いつも雑種を無料でもらえるコーナーを作ってくれているペットショップに足しげく通っているが、運悪くいつももらわれていった後で出会えない。そうこうしているうちに、いついってもいる茶色い子が目に入る・・・一ヶ月。二ヶ月。値は四万台にまで下がってしまっている。いつも拗ねてこっちを向かない子を魔が差して店主に頼んで見せてもらうと、思いのほか可愛い顔をしているではありませんか。健康状態も良好。歯並びOK。毛玉ができてるが皮膚の状態もダイジョウブ。ただ、耳ダニが酷いなあ・・・。かわいそうに。長毛は手入れがいるのにろくに櫛もいれてもらっていないよう。ケースから出してきてもらうと、死ぬ物狂いで逃げようとする器量の悪さーー;もうこれではこの子は延々うれのこって拗ねていくのではなかろうか?
『売れ残っているの?お家に来る?』
と猫に問いかけているはずが、どうやら自分に暗示をかけてしまったようです。
天竜はこうしたボランティアの結果(笑)我が家にきております。

『死んじゃったらもう猫は増やしちゃいけないよ。』

『猫をかわいがりすぎているから子どもができないんじゃない?』

親戚や近所の人にはそういわれながら、この後我が家はあと二匹猫が増えます。猫がいると子どものかわりをする、といわれますが、それはそれ、これはこれで、別物だとどうして分けて考えてもらえないんでしょうか、人間はとっても都合のいい部分を口に出す生き物だと(自分も含めて)思います。
結婚当初、確か大型犬も迎えるつもりでステーションワゴンを買ったのですが。
ちょっともう、犬は大好きなのですが我が家は猫で手一杯になりました。
猫を造詣深く観察してみても、手に取るようにわかっているつもりでも、まだまだ不思議な発見が毎日のようにあります。一番最後にきた黒猫の長毛雑種の毘沙門は、体中にノミを住ませてやってきたにもかかわらず、なあんて愛らしい!さっそくノミをとってやらねばー!と思えたし、丸顔で丸い目でないと、などと思っていた当初の私はどこへやら、▽顔の遠い目をしたこの子が今は実は一番かわいいのではないかとさえ思ってしまうくらいです。

身内いわく、「猫上級者にランクアップ」した、と(笑)

余談ですが、今ならデボン・レックスとかスフィンクスもぜんぜん大丈夫です(笑)


【実家、その後】

実家はあいかわらず、動物が好きといいながら、毛が入ったり汚れたりするのがたまらなくいやのようです。好き勝手に隙間に入ったり、猫や犬のために家の中の家具の配置を考慮したり観葉植物を考えたりするのはもってのほかというスタンスは変わっていません。
しかし現在猫を飼っています。

家の外で(笑)

その猫には虚勢手術を施し、裏の物置上方には彼のために夏も冬も快適なムートンのベッドを与え、日中は庭のウッドデッキで特別座布団を用意しています。彼はほぼ一日の大半を天気が良いとリビングが良く見えるウッドデッキの特別座布団の上でのんびりとすごしてもらっています。昔と違い、家を建て替えたのを機に、1時間に一回は父がウッドデッキにタバコを吸いに出るようになりましたので猫も大変に自由でかわいがってもらっていて、本来なら家の外に出すのが反対な私ではありますが彼においてはほぼ遠くへいくこともなく家の周りで子どもたちや近所の方に遊んでもらったりしている様子をみせるのでこのような地域猫もよし、と思ってしまいます。

雨が降るとちょっとサービス、家の中に入れてもらったりすることもあるようですが、ちょっとうれしいことは、猫好きな父はおいておいて、猫の嫌いだった母が「最近猫がとってもかわいいと思う。犬よりも好きかもしれない。とてもかわいいいろいろな声で呼ぶのよ。」というようになりました。

昔あれほど嫌がった猫のハンティングも今では「大物を取って来たわ~」と笑っていえるほどに。

たぶん猫派は、基本的には犬でも猫でも、どちらも好きな人が多いのではと思います。しかしながら、犬派には猫を毛嫌いする人が・・・猫派のその逆よりは多いのではと。

きっと猫の内面をなかなかみる機会がないせいかもしれません。

「友人の家の猫をみてるよー、ぜんぜんなつかないしそっけない感じ」

といわれるかもしれません。しかし、猫は基本的に内弁慶だと思っています。

今では小型犬がたくさん登場し、犬も昔の犬とは役目がかわってきているとは思いますが、それでもやはり、社交的な動物です。猫もずいぶん飼い方がかわってき、逃げ足の速い猫が少なくなりましたが、どちらかというと付き合えば付き合うほど味がでてくるタイプだと、私は思っています。

猫派、犬派に言い分はありますが、どうか、そっけないのが猫だとは思わないでくださいね。
猫もとっても愛情深い生き物ですよ。

このブログ記事について

このページは、Nicoleが2004年1月 9日 13:42に書いたブログ記事です。

次のブログ記事は「猫焼き・・・」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

お誕生日♪

ランキング参加中♪

にほんブログ村 猫ブログへ
ペット(猫) ブログランキング

コメントありがとう♪